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「家父長」以前の父は

8・4
 久しぶりの快晴。T山に、朝から孫らとでかける。ヒヨドリ花が地味な盛りだ。リズムをとって歩いていく、ということが子どもにはできないのを知った。子どもは、走ったり、立ち止まったり、一定の歩行リズムをとることができない。歩行リズムとは、文化なのだ。生体の自然運動の型ではなかった。むろん登山活動は、歩行リズムの安定によってなされる。それを支えるのは、呼吸法である。なぜなら、人にとっては、ただの自然な呼吸というものがなくて、絶えず心的な活動と不可分になされるからだ。

 帰りに、近くの町場温泉にいく。空いている外風呂につかりながら、いつもどおり、文庫本を読む。宮沢賢治『どんぐりと山猫』。小学校三年生らしい、一郎のところへ「おかしなはがき」がくる。差出人は山猫で、文体じたいはていねいで熟した呼び出し状なのだが、その文章はひどく幼稚な話体のままだ。その謎が解かれていく、というふうに物語は進む。

 面倒な裁判を山猫が主催し、そこへ少年の一郎は喚びだされている。だが、その公文書の書き手は、山猫の御者で、「その男は、片眼で、見えないほうの眼は、白くびくびくうごき、上着のような半纏のようなへんなものを着て、だいいち足が、ひどくまがって山羊のよう、ことにそのあしさきときたら、ごはんをもるへらのかたちだったのです」とある。とうてい今日のウソ社会では、許されざる差別語だらけの表現として糾弾されるだろう。もちろんこれは「牧羊神」のリアルな生活像であり、「山人」の都市下層民姿だ。

 一郎は、(背比べする)どんぐりたちのうち「誰がいちばん偉いか」という、裁判に喚ばれている。そこでは、裁判所という、家父長的な正義の表明場が隠しているイデオロギーが、露骨なまでに表わしてある。一郎少年はお説教で聞いたことのある「ばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないのがいちばんえらい」という、裁判所がとても受けいれられない逆説を受け売りして、裁判じたいを黙らせ、山猫にうけることになる。

 家父長的な裁判そのものへの、こんなハグラカシを読めば、一郎少年は、山猫裁判を転倒することで、家父長にならないように、成人するように喚びだされたようにみえる。すると、「にゃあとした顔」で「ひげをぴんとひっぱって、腹をつき出して」みせる山猫ではなくて、その前座にあらわれて迎えるだけのオカシナ御者にすれちがうべく、山へ登っていったのか、考えてみなくてはならなくなる。そのように話ができているからだ。

 物語の主題である山猫裁判は、じつはたんに成人への逆理的な召還にすぎなくて、その途中の挿話にすぎない片目の気味悪い別当との出会いのほうに、物語の主題としては取りあげることができないで、ただ挿話としてしか扱えないような、隠れたほんとうの主題があるのだとおもう。まさに「欺くに詞なければ、実をもて告ぐるなり」(雨月物語・菊花の約)というふうにいえば、「必ずしもあやしみ給ひそ」といわなくてはならない。

 山猫が、「家父長」的な裁判長たる父、古代的な父なる王の権威を表現していることはあきらかだ。一郎の答えは、そのまま裁判が表現する古代国家のイデオロギー「誰がいちばん偉いか」を、転倒する思考をあらわしている。こういう賢い子どもにとって、家父長ではない、「家族としての父」というのは、どんなものなのか? 知られるかぎり、ただ家族にとって異人でしかなかったし、今も一層よそ者でしかない父、というのは、母子家族にとって、なんなのか?

 一郎少年が気味が悪いのに、「なるべく落ちついてたずねました」と応対した、相手の片目の男は、「おまえは一郎さんだな」と名指す。「一郎はぎょっとして、一あしうしろにさがって『え、ぼく一郎です。けれども、どうしてそれを知ってますか』と言いました」という表現におよんで、そこにこめられた意味に気づかされる。子どもの名づけ親で、幼稚な手紙の書き手、山猫裁判長の御者でしかない、心身ともに卑小な男、というのがその実態をあらわしている。

 なかなか賢治のように書いた者はいない。『道草』の主人公にかさなる漱石自身や、『桜桃』の父像にみる太宰治に、わずかに認められるものだ。戦後文学はすっかり、その異人である父の卑小さを見失い、個人の自己意識の「尊厳」へと逃げこんだようにみえる。むろん生活民たちは、その卑小さを黙って生きてきたはずだ。そのような卑小さがまともに思想化されたことはない。「オカン」ばかりに心が向き、「時々、オトン」が異人として投げだされたままになっている。
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 フイッツロイで拾ってきた石に映る、フイッツロイ山の岩壁像

 
  
 

 
# by aokmas | 2008-08-04 20:46

「休む」ということ

7・28
 「休む」というのは、生きていくことにとって、どういうことを意味しているのか? たとえば、クライミング。登りながら、休めるところで的確に休みをとって、ふたたびリズムよく登っていく、するとなんなく登りきれるということは、よく体験する。体が疲れていると、頭を使ってしごとをする気力もでないということは、このごろよく気づく。

 「何かをする」ではなくて、その「何かをしない」こと、というのは、別のことをするというわけでもない。身体の別の部分を使うようにして、疲れた部位を休める、ということにつきるのではない。身体全体を休めるというのは、どういうことなのか。体験的には、「眠る」というのがいちばんだという気がする。

 「眠り」とは、なにか? というふうにして、「休む」ことについて考えていけることになる。「眠り」はヒトの死なのかもしれない。「死」という観念がさしているのは、他人の「死」、覚めることのないであろう眠り、という共同の判断をさしているだけだ。ヒト自身にとって、「死」は考えの外にある。解りっこないことに属するから、言ってみる意味がない。多く「死」がいわれてきたのは、それが生きていくことについての喩えだからだ。死そのものについてではない。

 「眠り」は、「死」とちがって、自分自身のこととして日々体験されている。眠ったまま、目覚めないのが「死」なのだろうが、それは当人の予知の外にある。「眠り」は覚めるかどうか、予感しながら眠られるわけではない。なにも感じず、考えずに眠りに入る。たぶん、そういう「眠り」の無意識性が「休む」ことにみちびくのだろう。意識を超えた、身体生だけの状態。「瞑想」ということが目指しているのは、そういう意図的な無意識への入りこみなのだろう。意識して意識をなくす、という逆説は、睡眠薬を意識して使う、というのと変わらない。

 たしかに、よく疲れていれば、「眠り」はくる。眠くなり、寝てしまう。悪疲れしていれば、眠りはやって来ない。身体全部にわたって疲れる、ということになれば、眠れる、「休む」ことができるはずなのだろう。意識が身体全体から抜ければ、休めることになる。

 意識は、超・身体的な共同幻想力なのであって、心や感覚のように身体に根ざしてくっついたままの幻想ではない。身体の疲れをある程度は超えて、働くことができる。火事場の馬鹿力のように。そこにヒトの意識の特異性がある。コトバはそこを契機にして成り立ったのだろう。文字言葉と観念は、その「休めない」意識を、あたかも自然なものであるかのように、表現したものなのだ。

 「休む」のには、「眠る」ほかはない。それには意識をなくしていくことになる。それはさらにコトバを失うこと、(コトバで)考えることをやめることになるが、それはもうヒトの自然なのだから、瞑想の姿勢の習慣づけくらいでは、とても超えられないだろう。それができるくらいならば、眠れないほど、疲れていないのだから、その程度にしか効き目はないだろう。そこで超・身体的な意識というヒトに自然なコトバや意識を抑えこもうとすれば、もっと根底的な身体力で抑えこむことになる。眠り薬だ。

 真に「休む」こと、真に「眠る」ことが、意識にとって不可能なのは、身体が意識をどこまでも超えた、なにか・自然力であるからだ。意識ができるのは、せいぜい意識して「休む、眠る」、くらいのところしかないらしい。それなら、「やらなくっちゃ」という心的な抵抗に背いて、やってできないことはなかろう。ここでも反時代的な姿勢が自分にたいして求められている。


 今日のしごと 『風土』による母界の考察 

 どうやら夏らしい夕焼け
「休む」ということ_c0149857_10521685.jpg
 
# by aokmas | 2008-07-28 10:55 | クライミング

「休む」ということ

7・28
 「休む」というのは、生きていくことにとって、どういうことを意味しているのか? たとえば、クライミング。登りながら、休めるところで的確に休みをとって、ふたたびリズムよく登っていく、するとなんなく登りきれるということは、よく体験する。体が疲れていると、頭を使ってしごとをする気力もでないということは、このごろよく気づく。

 「何かをする」ではなくて、その「何かをしない」こと、というのは、別のことをするというわけでもない。身体の別の部分を使うようにして、疲れた部位を休める、ということにつきるのではない。身体全体を休めるというのは、どういうことなのか。体験的には、「眠る」というのがいちばんだという気がする。

 「眠り」とは、なにか? というふうにして、「休む」ことについて考えていけることになる。「眠り」はヒトの死なのかもしれない。「死」という観念がさしているのは、他人の「死」、覚めることのないであろう眠り、という共同の判断をさしているだけだ。ヒト自身にとって、「死」は考えの外にある。解りっこないことに属するから、言ってみる意味がない。多く「死」がいわれてきたのは、それが生きていくことについての喩えだからだ。死そのものについてではない。

 「眠り」は、「死」とちがって、自分自身のこととして日々体験されている。眠ったまま、目覚めないのが「死」なのだろうが、それは当人の予知の外にある。「眠り」は覚めるかどうか、予感しながら眠られるわけではない。なにも感じず、考えずに眠りに入る。たぶん、そういう「眠り」の無意識性が「休む」ことにみちびくのだろう。意識を超えた、身体生だけの状態。「瞑想」ということが目指しているのは、そういう意図的な無意識への入りこみなのだろう。意識して意識をなくす、という逆説は、睡眠薬を意識して使う、というのと変わらない。

 たしかに、よく疲れていれば、「眠り」はくる。眠くなり、寝てしまう。悪疲れしていれば、眠りはやって来ない。身体全部にわたって疲れる、ということになれば、眠れる、「休む」ことができるはずなのだろう。意識が身体全体から抜ければ、休めることになる。

 意識は、超・身体的な共同幻想力なのであって、心や感覚のように身体に根ざしてくっついたままの幻想ではない。身体の疲れをある程度は超えて、働くことができる。火事場の馬鹿力のように。そこにヒトの意識の特異性がある。コトバはそこを契機にして成り立ったのだろう。文字言葉と観念は、その「休めない」意識を、あたかも自然なものであるかのように、表現したものなのだ。

 「休む」のには、「眠る」ほかはない。それには意識をなくしていくことになる。それはさらにコトバを失うこと、(コトバで)考えることをやめることになるが、それはもうヒトの自然なのだから、瞑想の姿勢の習慣づけくらいでは、とても超えられないだろう。それができるくらいならば、眠れないほど、疲れていないのだから、その程度にしか効き目はないだろう。そこで超・身体的な意識というヒトに自然なコトバや意識を抑えこもうとすれば、もっと根底的な身体力で抑えこむことになる。眠り薬だ。

 真に「休む」こと、真に「眠る」ことが、意識にとって不可能なのは、身体が意識をどこまでも超えた、なにか・自然力であるからだ。意識ができるのは、せいぜい意識して「休む、眠る」、くらいのところしかないらしい。それなら、「やらなくっちゃ」という心的な抵抗に背いて、やってできないことはなかろう。ここでも反時代的な姿勢が自分にたいして求められている。


 今日のしごと 『風土』による母界の考察 

 どうやら夏らしい夕焼け
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# by aokmas | 2008-07-28 10:55 | クライミング

「うち」ってなんだ?

7・24
 生きることは、【自己】表現することなのだが、その意味や困難はどこにあるか? あらゆる【自己】表現は、コトバを介してなされる。そこでみんなの現実になる。

 コトバに言いだされるということではない。コトバで意識されるということだ。いわなくても、コトバ的な意識で、自分にとって、コトバ意識で反省されて、はじめて【表現】になる。現実に存在したもの、になる。クライミングの場合を思い浮かべてみればいい。コトバ的な意識にできないような動きは、すくなくとも自分にとって現実ではない。自分の動きとみなすことができない。【自己】のものではない。

 和辻哲郎が『風土』のなかで、こんなことをいっいている。

 「もっとも日常的な現象として、日本人は、『家』を『うち』として把握している。家の外の世間が 『そと』である。そうしてその『うち』においては個人の区別は消滅する。妻にとっては夫は『う   ち』、『うちの人』、『宅』であり、夫にとって妻は『家内』である。」

 家が「うち」だと把握する、というのは、すでにコトバで意識した認知だから把握なのだ、といえそうだが、じつはそうではない。「把握する」というような観念語は、コトバで意識した事柄を、さらにそれがコトバによる意識化なんだナと、再度意識し直したときに、はじめて「把握」した、というべきなのだ。そういう共同の了解が欠如した文化では、観念語はみな、コトバの意識化という内実において、「お前はもう死んでいる!」ということなのだ。

 コトバでいうことが、そのまま把握であり認識だというふうに思いこんでいるだけだからだ。そこには、コトバをコトバで再度、意識し直していく、コトバでコトバをおさらいする、という自己認識が欠けている。ただの口まねしているたけだ。

 だから日本人が「家」を「うち」だとしているのは、ただ観念語の「家」を、その中に棲んでいる感覚から「うち」だといっているだけだ。そのとき「うち」というのは、外からみた『家』・建物のことが意識されていない、コトバという前提なのであって、家の『内部」のことを指している、意味しているとはいえない。そして「家」の観念と、さらにその「内部」の観念との二重性が区別されないまんまで、「うち」というコトバで、それが観念語である意識もなく使われていく。それはただ、この場にある感覚が、垂れ流されているだけだ。「あるがまま」、「そのまんまじゃないか」といわれるようなものであることが、反省的に追跡してみれは、だれでもわかるだろう。まるで「読み」がなく、くコトバだけが、言われたとおり、書いてあるとおりに、いいだされる。

 だからほんとうは、和辻のいうようには、「うち」は「うち・内部」ではない。「外」から指示してはじめて「内」として成り立つ観念なのに、その「外』からの指示という意識が欠けているからだ。その「外」もまたおなじく、外でないどこか、からそれとして指示することなしにはいいえない観念だし、コトバだ。つまり観念語にかぎらず、コトバはすべて、相互に相手を指示するときに、その指示されたもの・観念として現われ、表わすのであり、指示した自身や位置については、無自覚なままに前提にされて、付着している。

 「あ!」という一語文のように、まず最初に相手像ありき、感動詞ありき、なのだ。認知や意識は、まずは「あなた!」という感知と表出に発する。まずは我がものならぬなにかが、「あなた」的に感知され、そう感じた我は隠れいて、「あなた」に貼りついている。だから、コトバにも意識にも、「あなた」だけが表現されて、我はそのコトバや意識の下に隠れている。

 そういう自他の関係性の認知のしかたを、どんなコトバもみな、コトバ自身のもつ、【詞と辞】という、一体の入れ子構造に表現している。「うち」は、そのような「家」という詞と、その家の「うち・内」という辞によってできている。しかも日本人は、そのコトバの二重構造をそれぞれが意識することなく、みんなで辞である「内」のほうに力点をおいて、意識化しているのだ。

 「外のない『うち』」、という、奇妙なコトバ遣いの本質は、コトバの詞ではなく、辞の像に表現を認めて、使っているところにある。みんなの意識を、そのままわが意識だというふうにするところにある。いわゆる暗黙の了解、いわずと知れたもの、ツーといえばカー、というのは、共同体みんなの意識である幻想を、自分の個人的な自意識のようにカンチガイして、用いているところかくる。今日の、マジメなウソ社会の姿が、なんのチェックもなくそのまま、テレビに露出している情況もまた、その延長上にある。

 和辻の知は、それに気づいていない。「『うち』としてはまさに『隔てなき間柄』として、家族の全体性が把握せられ、それが『そと』なる世間と隔てられるのである。このような『うち』と『そと』の区別は、ヨーロッパの言語には見いだすことができない」といっているところによくででいる。「隔てなき間柄」などという像は、そのままではコトバにならない。詞と辞を区別し、その表裏構造を表わしていかなくては、コトバそのものが現われでられない。右も左も区別できないものを、どうやっていうというのだ?

 日本人が「把握」ではなく、みんなで感知して通用させている「隔てなき間柄」というコトバは、意味をなさない感覚像のことで、「故郷」とか、そして「うち」といった、まさしく【母胎・母界】の共同幻想の像をさしている。共同観念としてはまったく空疎で、共同の幻想像としてはとても内容の濃い、非コトバ的な超コトバなのだ。それはコトバ以前の、共同幻想の感覚性に根ざしている。「家族の全体性」などという、だいそれた概念は、「うち」にはまつたく無いし、「把握」されたこともない。あるのは、漠然と強く共同の幻想を刺激する自己表出力だけだ。自己起源像を喚起する力である。

 人類の自己表現の歴史は、人間の古代史がはじまる以前に、このような共同幻想によって生きていた時代を、みんながもっていたのであり、我らアジア民はそのことに無自覚なまま、歴史的な、【自己】表現する歴史時代のコトバを生きてきたのだといえる。そして今日でも、世界の自然科学が、わが「うち」の像語を、「宇宙のうち」という概念としてひき継いでいることは、みんな知っている。

 蝦夷梅雨がつづいている。二度つづけて室内壁にいくことになっている。明日は晴れるか、外岩に触わる感覚を体が求めている感じ。我が家の野花も一休みで、すこしさびしい。

 今日のしごと 『海辺のカフカ』第三章の論、1 を書きあげた。上場するだけ。どこへ?

 
「うち」ってなんだ?_c0149857_12482311.jpg

# by aokmas | 2008-07-24 14:12

現在性・ミクロな意識について

7・20
 たとえば、こんな小説表現がある。

 「目が覚めたときには夜が明けようとしている。僕は窓のカーテンを引き、外の風景を眺める。雨はもうあがっていたけれど、降りやんでまだ間がないらしく、窓の外にある目に映るもののすべてが黒く濡れ、水滴をしたたらせている。東の空には、輪郭のくっきりした雲がいくつか浮かび、それぞれの雲のまわりには光の縁どりがついている。光の色は不吉にも見えるし、同時に好意的なものにも見える。眺める角度によってその印象は刻々と変化していく。
 バスは高速道路の上を一定の速度で走りつづけている。耳に届くタイヤ音は高まることもなく、低くなることもない。エンジンの回転数もまったく変化しない。その単調な音は石臼のようになめらかに時間を削りとり、人々の意識を削りとっていく。」

 感覚をコトバが呑みこみ、そのコトバはミクロな意識に呑みこまれている。それが【現在】の意識と世界のありようだ。気づかれないままに、超現実が現われてきている。そのような現在の世界のありようを、先端的な文学表現がよくとらえている。

 なんということもない普通の風景や意識の描写のようにしかみえないかもしれない。これは現代的な自己映像という、世界史的な表現特性の延長にある、あたらしい自己映像世界をあらわしている。

 18世紀末からはじまる現代では、すべての物事が「自己の映像」を表わした【表現】でしかなくなった。カメラが「自己である世界」を表わし、コトバはその映像に仕えるだけになった。そして21世紀の現在、身体感覚で感知される物事もみな、かつてのようにアナログ的なコトバをとおして、観念的な現実性として意識されるのではなくなった。電子技術機器による微細な映像的意識をとおして、すべてが表現されるようになった。今日の「脳」話の流行は、その旧式な理解のあらわれにすぎない。

 コトバにもとづく意識に捉えられていた風景は、コンピューター的な微細な自己映像意識の乗り物である「高速バス」の「窓のカーテンを引き、外の風景を眺める」というふうに、覗きだされるようになった。そうした意識の変革をもたらした大雨の名残りをしめす「目に映るものすべてが黒く濡れ」、それが生まれたてであることを示して「水滴をしたたらせている」。そして雨後の名残りの「輪郭のくっきりした雲がいくつか浮かび」、「それぞれの雲のまわりには」、新たな自己映像を映しだす電子の「光の縁どりがついている」。

 それは意識の新たな光源のありようなのだから、「光の色は不吉にも見えるし、同時に好意的なものにも見える」ことになる。それは自分自身を眺める自意識の新たな視覚光線なのだから、「眺める(自意識の)角度によってその印象は(電子機器的な速度で)刻々と変化していく」わけなのだ。

 外部の光景は、自己自身の電子的な意識光線と不可分に一体であることをよく表現してある。眺め観測する自己と別にあるような、客観的な実在、という科学記号信仰やその世界像は技術という暗箱の意味しかもたなくなった。電子的な時間光は、旧来のコトバ的なアナログ時間像にくらべれば、はるかに「一定の速度で走りつづけている」し、その速度を感覚させる「タイヤ音は高まることもなく、低くなることもない」、電子機器的な超安定速度をしめす。もはやそれは身体感覚の時間性はもとより、それをコトバで観念化したアナログ的な年月日的時間観念をもはるかに超えている。もともと身体道具的な機械だった「エンジンの回転数もまったく変化しない」というふうに超機械化して、世界そのものの速度のように見えてきている。

 電子的でミクロな、超感覚、超コトバ的な「その単調な音は石臼のようになめらかに」、旧来の意識を削りとる。物事への意識を削りとっていることもわからないように、削っている。自意識の時間性も削りとられていく。その結果、高速時間バスの乗客である「僕らはとても無感覚に目的地に向けて運ばれていく」というふうに生きていくことになる。「石臼のように」という比喩にかろうじて、なめらかで無感覚な新世界の作用を、農耕暮らしの身体感覚につながる重くて力のいる石臼の引き具合を介して、像化しえている。不可解な世界をなんとか捉えようとする身体力が、そこにみてとれる。

 主人公の15歳の少年は、電子機器的な世界意識の高速バスにのって、なつかしいコトバ的な実在世界の東京の家をあとにして、四国世界へ家出していった。彼はその意味で「世界一タフな少年」だといわれている。そこには、作者の世界認識と、それを生き抜くことへの自負がこめられているといえる。

 時間で走っている。今のところ40分間。今日は小雨もようでいくらか涼しく、山は半分雲に隠れていて、歩く人もいない初夏の午後だ。

 今日のしごと この稿じたい

 桔梗と草連珠(クサ・レダマ)
現在性・ミクロな意識について _c0149857_18295346.jpg
 
# by aokmas | 2008-07-20 18:48 | 日本文学研究